妻と私♂の妊活日記(男妊活・育休・男の育児)

男性も妊活・不妊について考えよう!

1年振り返って~妊娠判定日の前と後~

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不妊治療を始めて1年が過ぎようとしています。

早いような長いような、それでいて焦りだけが先行していく感じ・・・。

それでも、こういう時間があったからこそ、夫婦の絆がより強くなっている気がします。

 

こんにちは。

 

相変わらず私たち夫婦は、子供の名前をニヤニヤ妄想したりしています。

最近はさらに、子供の名前を妄想した後に、その子のニックネームを妄想したりするようにもなりましたww

 

今日は、不妊治療をした1年の間で、最も印象に残っていることを書きたいと思います。

それは、「妊娠判定後」のことです。

 

 

 

妊娠判定まで

体外受精(顕微授精)を決断してからというもの、数々の経験をしてきました。

その数々の経験については別の機会に書こうと思っていますが、私(旦那♂)が妻を見ていて、ホントに辛そう、と思ったのは、ピルを使用しているときでした。

 

あれは、生理周期を調整するため(排卵誘発剤を使う時だったと思います)、医師からピルを服用するように言われていた時のことでした。

服用し始めた初期は、特に妻の身体に変化はなく元気だったのですが、数日経つと、みるみる顔色が悪くなっていきました。

そして、妻の口から「気持ち悪い・・・」という言葉を聞く回数が増えていきました。

妻はなんとか乗り切ってくれましたが、何度も心配し、何度も変わってあげたいと思ったことを覚えています。

 

そして、なんとか採卵も無事に終わり、1カ月の回復期間を経て、受精卵を妻の身体に戻すところまで漕ぎつけました。

 

そして、運命の妊娠判定へ。

 

妊娠判定日

あれは6月上旬のことでした。

妊娠判定を言い渡される日。私たち夫婦は朝からソワソワしていました。

初めての妊娠判定だったこともあり、1回目じゃ上手くいかないかもしれないけど、でもやっぱり陽性反応出てるといいよね。なんていう感じで、ダメでもしょうがないと自分たちに保険をかけつつ、クリニックへ向かいました。

 

諸々の検査を行い、医師から診断結果を待つ間、心臓はバクバクでした。

 

そして、医師から

「陽性反応出てました」

看護師からは笑顔で

「おめでとうございます」

と言っていただきました。

 

私たち夫婦は、顔を見合わせ、緊張から解き放たれ、ものすごく安堵しました。

やっと、やっと、陽性出た。ようやくここまで来たんだ。

この日のクリニックからの帰り道、ここからが大事だねという話をしましたが、そんなことよりも、今日の喜びを2人でたくさん分かち合っていました。

 

妊娠判定後(胎嚢確認日)

妊娠判定日の10日後、私たち夫婦は再びクリニックへ行き、胎嚢の確認を行いました。

 

胎嚢確認とは、簡単に言うと、超音波検査により、受精卵が然るべき場所(胎嚢)にしっかり着床しているかを確認することを言います。

 

そこで、医師から言われた言葉は、

「ちょっと確認できないな。連休挟む前にもう一度確認したいから明日また来て!」

 と。

 

ん?どういうことだ?

この日は木曜日、明日の金曜日にまた来いと言われました。

なんか嫌な胸騒ぎを覚えた私たちは、この日、二人ともなかなか寝れませんでした。

 

翌日。

金曜日の夕方。

クリニックに行って再検査が行われました。

 

すると、医師から、

「今日もやっぱり胎嚢が確認できないな。日数から見て、ちょっと今回は上手くいかなかったみたいだな。それよりも、子宮外妊娠の可能性がゼロじゃないから、すぐに(最低でも3日以内に)大学病院で検査してもらって!!」

 

と言われました。

 

え・・・

 

・・・・

 

・・・・。

 

時が止まったかと思いました。

 

前日の医師の話ぶりから、今回の妊娠は上手くいかないかもしれないと覚悟はできていました。

しかし、大学病院に行くことになるとは思っていなかったので、超ビックリしました。

 

医師からは、

「今後は、何かあった時に即入院可能な大学病院での治療がよい。万が一、子宮が破裂したら大変だから。」

とも言われました。

 

妻はそんなにヤバい状況なんですか?

万が一ってなに?

10日前は、おめでとうって言ってくれたのに、なんでこんなことに・・・

 

天国から地獄に突き付けられた気持ちになりました。

 

そして、話はドンドン進んでいき、医師からは

「どこの大学病院にしますか?紹介状書きますね。」

「住んでいるところから近い大学病院はどこですか?」

と言われたのですが、この時、夫婦2人とも頭は真っ白でした。

 

その後、医師との話し合いの末、某大学病院A宛で紹介状を書いてもらいました。

 

クリニックを出てから(悲しみの夜)・・・

そこからは悲惨でした。

クリニックを出る直前に、電話にてA大学病院へ明日(土曜日)の診察が可能か伺ったところ、予約なしで診察可能だと言われました。

 

しかし、今考えると私もどうかしていたんだと思います。

私が電話した病院は、A大学病院の別地区(自宅からはかなり遠いところ)にある病院でした。私は、A大学病院がいくつもあることに、後になってから気が付きました。

 

クリニックを出たのが17時直前であり、そのことに気が付いたのは18時過ぎ。

私たち夫婦は急いで正しいA病院に電話をしました。

すると、受付時間が終了しており、夜間担当に電話が繋がりました。

夜間担当の方に予約できないか伺ったところ、A病院は完全予約制であること、また、受付は月曜日になると言われました。なお月曜日に改めて受付を済ませても、診察は早くても火曜日以降になると言われました。

 

それでは、3日以内に受診できない。

わたしたち夫婦は、絶句しました。

 

その後、幾つもの大学病院に電話しましたが、ほとんどが受付時間外であり、取り合ってもらえませんでした。私たちにかけられた言葉は、

「月曜日以降にまた電話してください。」

とのこと。

 

電話がつながったところでも、

「ウチは完全予約制なので、ずっと先まで診察できない。」

「入院になった時のベッドが足りてないから、診察できない。」

「自宅から遠いので、何かあった時にかけつけられないだろうから難しい。」

などと言われました。

 

なんでこんなことに・・・。

子宮外妊娠だったらどうしよう。

 

誰か妻を助けてください!!

 

心の中ではそう叫んでいました。

 

仕方なく、この日はここで大学病院探しを諦めました。

 

というのも実はこの日、妻の両親と夜にスポーツ観戦をする約束をしていました。

この時点で、2時間以上待たせてしまっていました。

本当にごめんなさい。

 

それから、急いで約束の場所に向かいました。

妻の両親には、不妊治療していることを伝えていないので、仕事で遅くなったと偽り、遅れたことを謝罪しました。

 

幸い、試合の途中から観戦できたのですが、憔悴しきっている2人は、この日のスポーツ観戦を心からは楽しむことができませんでした。

私は、お義父さんたちの前で一生懸命笑ったりしましたが、今思うと、ちゃんと笑えていたかは自信がありません。

 

胎嚢確認日の翌日

土曜日。

この日は朝早く起きて、インターネットで大学病院を調べまくりました。すると、1つの大学病院が診察可能と言ってくれました。

 

雨がザーザー降る中、急いで車を走らせ、大学病院へ向かいました。

 

大学病院に着き、幾つか検査を済ませると、医師からは

「子宮外妊娠の可能性はかなり低いでしょう。生理で子宮を綺麗にしていきましょう。」

と言われました。

 

しかし、安堵したのもつかの間、

「万が一、体調がおかしいなってなったら(出血とか諸々)、すぐに救急車を呼んで大学病院に来てください」

とも言われました。

 

すぐにと言っても、自宅から1時間かかるので、何もないことを祈るしかないなと内心思いました。

 

その後、毎週(計4回)通院し、妻は無事大学病院を卒業することになりました。

 

ふぅ~。

 

まとめ

現在妻は、体調も良好で回復期間を過ごしています。

クリニックにて子宮外妊娠の可能性があると言われてからは、ホントに辛く苦しい経験をすることになりました。

この経験を乗り越えて、夫婦共に笑顔になれる瞬間をたくさん作っていきたいなと思っています。

 

今回、端折った話も多々あるので、そのあたりは、また今度書いていきたいと思います。

 

長文、読んでいただきありがとうございます。

 

みんなが笑顔になりますように♬